パターン15:アーキテクチャ設計者もソフトウエア実装に参加する

   

 

問題:

どのようにしてアーキテクチャ的なビジョンを実装の段階も持つ続けるのか?

コンテキスト:

開発者の組織が、戦略的な技術的方針を必要としている。

影響する事柄:

全体主義的な統制は、多くの開発チームで、厳格さの程度として観察される。

正しい情報は、正しい役割を経由して流れなければならない。

解決策:

アーキテクチャ設計者は、開発者にアドバイスしたり情報交換するだけでなく、ソフトウエア実装にも参加すべきである。

結果として生じるコンテキスト:

指導的立場のアーキテクチャ設計者から大量に知識を取り入れることができることに気が付く開発組織となり、その組織はアーキテクチャ上の専門知識を直接的に役に立たせることができる。

論理的根拠:

最近私が関連したプロジェクトにおいて、このパターンを明確にすることの重要性が認識された。アーキテクチャ設計者チームは地理的にも離れ情報交換が十分にできないような状況で設立された。一般的なアーキテクチャ設計上の責任は明確にされ、役割がアサインされたが、あるグループはコーディングまで担当するつもりでいるのに対し、あるグループはそうではないという認識を持っていた。

ある管理者は、いくつかのプロジェクトにおいて、アーキテクチャ設計者は単に共通的な基本部分の構築のみに焦点を当てればよく、重要でないコード部分は開発者にまかせればよいといっている。

「もし、ビルの設計の場合に建築家によってビルの構造が定義できるように、ソフトウエアアーキテクチャがアーキテクチャ設計者によって定義できるのなら、それはそれでいいのだが。だけど、誰がソフトウエア設計者なのか? パリで1671年にアカデミー・ロイヤル・アーキテクチャ協会(Academie Royale d'Architecture)が設立されたが、正規の教育が19世紀になるまで現れなかった。有名なEcole des Beaux-Artsは1816年に設立され、最初の英語を用いる学校としては、ロンドンで1847年に始まり、北米での大学での最初の講座開講はMITにおいて1868年である。専門学校が存在したにもかかわらず、教育と実践との関係は長い間明確にされないままであった。大学での資格なしに建築家となることさえ可能であった。スイスなどのいくつかの国では、訓練を受けた建築家しか建築を行ってはならないという法律はなかった。これは驚くことではない。何世紀のも間、レンガ職人親方、流れの大工、建具屋、芸術愛好家、生まれつき才能のある素人と建築家の違いは誤って定義されていた。たとえば、ルネッサンス時代の偉大な建築は、いろんな建築家でない人達によって設計された。ブルネレシュ(Brunelleschi)は金細工師として、ミケランジェロ(Michelango)は彫刻家として、レオナルドダビンチ(Leonardo da Vinci)は画家として、アルバート(Albert)は法律家として訓練を受けていた。画家であるブラマンテ(Bramante)だけが以前に正規の建築の教育を受けていた程度である。これらの人々は、多くの他のものも含む中で建築物を作ったということで建築家と呼ばれている。--重複表現(訳注:腹を切って切腹したというような表現)は何も説明しない。」 -- [Rybczynski, p. 9].

[Vitruvis]の注釈:学問なしで手作業のスキルを得ようとした建築家達は、決してそれだけの労力に報われるだけの権威ある地位まで到達しなかった。一方、論理と学問にのみ頼った建築家達は、明らかに実体ではなく影のみを追っかけていた。しかし、すべての点で武装している人のように両面の完全な知識を持つ人が目的を達成し権威を獲得する。